修了者の声
VOICE OF ALUMNI

修了者からのメッセージ

写真 氏名:小野田 峻
入学年:2007年
修了年月:2010年3月
現在の職種:弁護士(東京弁護士会),Pubphere(株)代表取締役

入学前のあれこれ

 私は2005年に金沢大学法学部法学科を卒業し、その後、法科大学院に入学するまでの間、旧司法試験の合格を目指して勉強を続けた。この時期はいろいろな意味で苦しかったが、このときの経験が弁護士になった現在、顧問先との会話の中で生きてくることは、意外と多い。

修了後のあれこれ

 金沢大学法科大学院入学後の日々は、まず何より本当に楽しかったし、そんな回顧にとどまらず、あの頃に読み込んだ裁判例や基本書、あるいは各先生方との議論の記憶が、現在取り組んでいる事件等の処理方針を決める上での取っ掛かりになることもよくある。私のようなあれこれと興味が湧いてしまう人間からしてみれば、法科大学院という環境でゆっくりと時間をかけて学べたことは有り難かった。
 私は、修了の年に無事、新司法試験に合格し、新64期司法修習生として岩手県盛岡市で修習生活をスタートさせることができたが、翌年の3月11日、盛岡地方裁判所の刑事裁判官室で、あの大震災に遭遇した。
 あの日以降に私が経験したことや見聞きしたことは、そのどれもがこの紙面で過不足なくお伝えできるようなことではもちろんない。ただ、それでもあえて、これを読んでいる皆さんにお伝えしたいのは、あの当時、(少なくとも私の周囲にいた)法律家は皆、自分たちの無力さに打ちひしがれていたという事実であり、同時にまた、あまりに多くのものが失われてしまった状況を前にして、自分たちの役割を見つめ直し、今もなお、献身的な活動を続けている法律家がいるという事実である。
 「法」では、人の命を(直接的には)救うことはできない。誰かの体を温めることもお腹を満たすことも、(それ自体をもってしては)もちろんできない。だったら「法」は全くの無用の長物なのかというと、それは違う。人間の平穏な生活というものは、人の手によって、あるいは自然の猛威によって、いとも簡単に損なわれてしまう。それを見越して、人は「法」を作り、利害の調整や損害の回復を図ってきた。つまり、「法」は、必要になる場面や時期が異なるだけで、衣食住と同様に、人が生きていくためには必要なものだ。そして、法律家はいわば、その「法」を使って社会全体を整備し続ける職人のような役割を担っている。皆さんが今現在、法律家というものに対して持っているイメージは、おそらく一面的で、とても狭く堅苦しいものだろう。けれどそのイメージは、実態とは大きく異なる。法律家の活動領域は、人の営みが存在する場所とイコールであり、社会の広がりとイコールである。

そして、2022 年 5 月現在

 話が抽象的になってしまったので、法律家の活動の一例として私の活動を一部、紹介しておく。
 私は、2016年に、約4年半お世話になった弁護士法人筑波アカデミア法律事務所から独立し、従前から東日本大震災の復興支援に共に取り組んできた同期の髙砂弁護士とともに、「小野田髙砂 法律事務所」を開設した。
 業務として取り扱っている分野に特段限定はないが、当事務所の特徴を一つ挙げるなら、私がライフワークとして取り組んでいる社会起業家(ソーシャル・スタートアップ)支援を業務の一つの柱に据え、法律事務所と併設する形で、ソーシャル・スタートアップ向けシェアオフィス「social hive HONGO」を開設・運営していることかと思う(2018年7月には増床。2022年3月時点で入居団体は21社)。
 入居している各団体が向き合っている社会課題は、救急救命やシビックテック、日本酒文化、介護、食と演劇、子どもの孤立、女性の両立不安、イノベーション教育など様々で、彼らに伴走し、ビジネスを横断的に支援し続けることは容易ではないが、果敢に挑み続ける彼らと時間やその想いを共有し、多様性ある社会の実現に向けた活動の一端を担えることには、大きなやりがいを感じている。それと同時に、過去と向き合うことを職務の旨とする法律家だからこそ、やがて訪れる未来を具体的に想像し、翻って今この瞬間を捉え直し、社会において共有し得る規範を見出しあるいは構築し得ないか、という問い立てを実践することについては、弁護士という業務の新たな可能性を感じているところである。
 そして、2019年12月以降。世界は、COVID-19という名のウイルスの猛威によって、大きく損なわれてしまった。
 こんな時代だからこそ、私は3つのキーワードをここに残しておきたい。
① 複雑な世界、正解がない世界で指針にすべきものは何か
② 「正しい」だけでは届かない
③ 「社会」とは「どこ」にあるのか?
 法律家は、一所に留まるものではない。社会の変化とともに、自らをも変化させていくべき存在である。そんな仕事に就きたいと思うかどうかは人それぞれだが、多少なりとも法律家という仕事に興味を持っていただけたなら、(社会にとっても、私にとっても)幸いである(上記①~③についての私の考えは、いずれどこかで)。